ボランティアは誰がためか
ボランティア活動をする動機って何なのだろう。僕はボランティア活動をしたことがない。僕はあくまでも市場の機能や、公共機関の活動によって、問題は解決されていくべきだと思う。
たとえば、山本七平の『空気の研究』の中にこんな話があった。寮の主人が、入居者のひよこが寒そうにしているので、お湯を飲ませて、結果として死なせてしまったという話である。
まさに、これは他者に対し不用意に介入した結果である。相手のため何かをするということは、暖かい心はもちろん、かなり冷静な判断が要求される。介入者には様々な意味でゆとりが必要だ。
メサイア・コンプレックス・・・自己が他人にとってメサイア(救世主)になることによって、心の安定を得る人がいる。このような人にとって本当のメサイアは他人であり、この場合、他人のためと言いながら、他人から何かを奪っているのも事実。
だから、自分に利害関係が及ばない事象に対して、ボランティア活動をすることに賛成できない。「元気をもらった。」「勇気をもらった。」などは意味不明。自分探しのボランティア活動などもってのほか。
無償・無報酬の関係ほど面倒くさいものはない。人はほとんどリターンを求める。承認・賞賛・共感・愛情など。そんなリターンは面倒である。
たとえば、山本七平の『空気の研究』の中にこんな話があった。寮の主人が、入居者のひよこが寒そうにしているので、お湯を飲ませて、結果として死なせてしまったという話である。
まさに、これは他者に対し不用意に介入した結果である。相手のため何かをするということは、暖かい心はもちろん、かなり冷静な判断が要求される。介入者には様々な意味でゆとりが必要だ。
メサイア・コンプレックス・・・自己が他人にとってメサイア(救世主)になることによって、心の安定を得る人がいる。このような人にとって本当のメサイアは他人であり、この場合、他人のためと言いながら、他人から何かを奪っているのも事実。
だから、自分に利害関係が及ばない事象に対して、ボランティア活動をすることに賛成できない。「元気をもらった。」「勇気をもらった。」などは意味不明。自分探しのボランティア活動などもってのほか。
無償・無報酬の関係ほど面倒くさいものはない。人はほとんどリターンを求める。承認・賞賛・共感・愛情など。そんなリターンは面倒である。
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- [2011/07/11 00:01]
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歪んでいる。でも、わからなくもない。心の奥底では、自分が誰よりも優れていることを願っているからこそ、犠牲となることに甘んじ、喜びさえ感じる。そこに心の安定を求めてしまう。
主人公は高校生の陸上競技の走者として頂点を極めるが、勝利することに意義を見出せなくなり、そして、ロードレースへと転向する。
ロードレース・・・チーム競技であり、エースとアシストに分かれ、アシストはエースを勝利させるため、時には犠牲にもなる。
主人公はアシストとして、犠牲になることに、喜びすら感じている。その姿が彼の生き様と重ね合わせられる。
卑屈。二つに割ったパイの大きいほうを他人に押し付けている天邪鬼。受け取ったほうにとっては、ちょっとした罪悪感が生じたりする。喜んで犠牲になること自体が、強烈な自己主張かも。
押し殺した感情や情熱は、無言の圧力となって、周りを不安にさせる。周りも圧力を感じながら戦いようがない。
そして、そういう人間がふとした瞬間に、押し込めている欲望を露わにすると、不運が起こったりする。普段悪いことをしない人間が、少し魔がさした瞬間、誰かに見られたりするように。
ロードレースは紳士のスポーツだという。譲り合いや、自己犠牲は紳士なのかな。僕は、剥き出しの闘争も、気味の悪い譲り合い・褒め合いも、吐き気がする。自分の心まで著者に見透かされた気分になる。
- [2011/07/10 00:01]
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